もっこす見聞録

このページは熊本の方言や県民性に関連して、今まで見聞きした話や私の感想を思いつくままに載せました。


○ 方言コンプレックスをなくそう!
(2020.8.1)
 昔は、熊本人は他県などに出ると口下手でシャイだとよくいわれたものです。 これは他県で暮らすことになると日常生活の上で、言葉の壁があったためだと思われます。 すなわち熊本人は熊本弁では相手に分かってもらえないし、もし話して笑われたら恥ずかしいという意識が先に立って、人前に出るとうまく話ができない、いわゆる方言コンプレックスに陥ったからです。
 そのため熊本人は都会に出ても他県人と打ち解けて交際できず、自然と孤独になり、ノイローゼ気味になる人もあったといいます。 特に職場をもたない家庭の主婦は友だちもできないため、その傾向が強かったようです。

 この点、関西人は自分たちの方が上方で、もともとは中央だと考えていますので、方言コンプレックスどころか自分たちの言葉が標準語だと考えています。 他所へ行っても持ち前の関西弁で堂々としゃべりますし、また他所の人も関西弁を聞きなれているので、それで意味が通じるのです。
 この点、熊本弁は他所と違った特異な言葉や品のよくない言葉が多いため、自然と人前で話すのが億劫になり、方言コンプレックスに陥ってしまうのです。
 しかし、隣の鹿児島人には方言コンプレックスがないと何かの本で読んだことがあります。 鹿児島弁は熊本弁と全く違っており、藩政時代に幕府の隠密などの侵入者を識別するために意図的に言葉を変えたといわれています。 にもかかわらず、都会に出ても方言コンプレックスを感じないで話せるのは、県民性が外向的な性格であるということと、明治政府のエリートであったというプライドがあるからだとする説があります。   

  ところで方言コンプレックスは聞く相手が理解しにくい方言(東北弁など)やあまり品がよくないといわれている方言(名古屋弁など)などの場合に生じがちです。 しかし、名古屋出身の言語学者柴田武氏は「ことばにきれいとか、汚いとかいうことはない。そのことばを話す人の人格がよければでいい発音になるし、好きな人の話であれば訛りのあることばでもきれいに聞こえる。」という趣旨のことを述べています。 (「その日本語、通じていますか」角川書店刊)
 したがって、本人の品格や心がけ次第で方言もきれいなことばになり、方言コンプレックスも克服できるということでしょうか。

 方言コンプレックスを克服して他所の人と臆せずに話しをするためには、共通語に準じて話すよう心掛けることは必要ですが、その際アクセントの違いや語彙の違いなどあまり気にせず気楽に話すことが大切です。 その際、ところどころ熊本弁が混じっても、そのほうがなにも話さず口をつぐんでいるより、よい人間関係ができるというものです。
 熊本から東京に出てきたある人がタクシーに乗って行き先をいうとき、熊本弁の「あっちゃん」「こっちゃん」では品が悪かろうと、「あっちさん行ってはいよ。」「こっちさん曲がってはいよ。」と丁寧にいったところ、運転手が「熊本では方角にも「さん」を付けるんですね。」といって笑ったといいます。 意味が通じれば、これなど方言の味があっていい話だと思います。 
 
 ただ、熊本弁には他所の人には全く理解できないことばや他人に不快感を与えるようなことばもありますので、今まで使い慣れたことばでも少しずつ洗練するよう、平素から心掛けることが必要と思います。

 具体的には、まず第一に、自分で特異語や卑俗語と思うことばは使わないようにすることです。 この「方言集」ではそのようなことばも辞書の性格上あえて載せていますが、他所の人との会話では避けたがよいと思います。

 第二に相手に強圧的だと感じさせるような強い調子の言葉遣いを慎むことです。 「熊本人と話していると、こちらが詰問されているようだ」ということを聞いたことがあります。 熊本弁の調子が強いためにそう受け取られるのですが、できるだけ柔らかい調子で話したらと思います。

 第三は敬語を上手に使うことです。 地方によって敬語のない方言もありますが、熊本弁は卑俗語も多いが、敬語の表現も多様にあります。したがって、日常の会話でも敬語の中の丁寧語を上手に使えば、相手に素直に受け入れられる熊本弁になるのではないかと思います。 

 以上のような方言コンプレックスは従来、古い世代の人の間に強かったのですが、最近の若い世代の人の間では大分事情が変ってきているようです。 最近の若い人はテレビの普及や通信・交通の活発化などによって共通語を上手に話すようになっており、方言コンプレックスは少なくなってきているようです。
 方言コンプレックスがなくなることはいいことではありますが、共通語が重用され過ぎて方言が軽視されるようになると、地域の伝統文化の根幹が失われることにもなり、人々の意識がハイマートロス(故郷喪失)になるのではないかという新たな心配があります。 



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