熊本弁と県民性

 熊本の県民性を一口で表わすことばとして「肥後もっこす」ということがいわれます。「もっこす」とは頑固者、強情者という意味ですが、さらに進んで偏屈とか反骨とかいう性格を含んでいます。

 ところで県民性の研究として心理学者宮城音弥氏の調査結果があります。同氏は熊本県人の性格特性として 「繊細でない、模倣的、島国的、礼儀正しくない、地味、豪放、とっつきにくい、反抗的、こせこせしている、勤勉でない」 を挙げており、マイナス評価が他県に比べて極端に多くなっています。
(「日本人の性格(県民性と歴史的人物)」ー[昭和44年;朝日新聞社刊])
 この調査結果を熊本県人として見ると、なるほどと合点できる点もありますが、一斑だけが強調され過ぎて納得できない点が多いように思います。  

 一方、 文化史学者武光誠氏は、熊本の県民性は 「剛健で正義感が強い、頑固で気が短い、さっぱりして明るく、人情味があり親切、口下手でお世辞がいえない、猛々しいそぶりは見せかけだけで強がっているだけ、内心は小心」 としています。
(「県民性の日本地図」ー[平成13年;文春新書])

 私としては、この武光氏の分析の方が当たっているように思います。私の友人でも熊本に勤務した者は異口同音に、「最初は不安だったが、そのうち気心がわかると人柄がさっぱりしていて人情味があり大変暮らしやすかった」といいます。

 ところで、宮城氏の前記調査を熊本の隣県長崎についてみると、「誠実、情に厚い、打算無視、思慮深い、地味、親切、正直、礼儀正しい、堅実、軽快、怠ける」 となっており、プラス評価が全国一多くなっています。たしかに、「生粋の長崎の人」の人の善さは定評があり、その言葉も熊本弁より柔らかく聞こえます。

 熊本と長崎とは隣県で気候風土は似ており、言葉も同じ「ばってん言葉」で語彙的にも一番近いのに、なぜ熊本の場合はよその人に人柄が粗野で、言葉が荒々しく感ぜられ、長崎の場合は人柄が善く、言葉も柔らかく聞こえるのでしょうか。
 これはその地方のおかれた長い間の歴史的環境と庶民の生活条件が大きく影響しているように思われます。とくに徳川300年の藩政時代の影響が大と考えます。

 熊本は細川藩政時代、藩の財政窮乏から「きんきらきんは御法度」、尚武・質実剛健を重んじ、勤勉倹約を強制したため、それがその後の県民の生きざまや意識を規定したと考えられます。すなはち、熊本では優雅や上品など「美」の世界とは縁が遠く、額に汗して「がまだす」ことが美徳でした。そして最近まで他人が美しくあろうとすると「上品ぶっとらす」といって貶したりする。このような風土が今日の熊本弁の底にあるように思います。 

 この点、長崎は江戸時代天領で、しかも唯一海外にむかって開かれた文化都市でした。そこでは市民生活は開放的で、町では各戸に配られるお竃金で祭りをするなど、人々が生活をエンジョイした所だったからでしょうか。
                                   


次に進む Topに戻る
inserted by FC2 system